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やまき同族会とは
............... 〔八巻の苗字〕
 「八巻」の苗字は、どうして「やまき」と読むのか、いつ頃どの様にして出来た苗字なのかと疑問に思ったことは有りませんか。この疑問に答えを出していただいたのが、元・国学院大学教授の「樋口清之」先生です。きっかけは、初代会長である「八巻富雄」氏の家に古い位牌があり、その位牌を樋口先生に鑑定をお願いしたところから始まりました。


八巻の始祖〕
 先生のお話によると、「八巻」の先祖は平安時代末期に、目代として伊豆の代官をしていた「山木判官兼隆」に間違いないとのことでした。


〔会発足の経緯〕
 樋口先生からのご示唆により、「八巻富雄」氏が中心となり、1974年に全国の「八巻」姓の人達に呼掛け、「やまき同族会」を作る運びとなりました。


〔会の理念〕
 「やまき」家系を敬い、「社会と共生」を尊び、一族の「繁栄と融和」を創出する。


〔会の活動〕
 「同族会」発足以来、会員の皆さんが手分けをして全国を廻り、「八巻」に関する資料を集められ、「八巻」に関する「系図」や「古文書」などの発掘・調査・研究が進められ、その結果色々なことが分かってきました。その一部をご紹介します。


1.〔山木兼隆〕
 「山木兼隆」は、伊豆韮山の「山木」に代官として京都から赴任してきた「平重郎兼隆」である。


2.〔頼朝との関係〕
 「山木兼隆」は残念ながら、治承四年に同じ平氏の「北条時政」の裏切りと、「源頼朝」の挙兵の際に夜襲を受け、討死をしました。


3.〔秩父〕
 夜襲で敗走した「兼隆」の一族は、埼玉県の秩父の山中に逃れ、ここで法華経の「八の巻」が八巻に通じることから、「山木」から「八巻」に改姓したと言われています、八巻一族は平家最初の「落人」となりました。


4.〔江草郷〕
 「八巻」と改姓した後も頼朝(鎌倉幕府)からの追及を逃れ、逃避行の末「甲斐国・江草郷」に落ち着きます。
「甲斐国」に入った八巻一族は、「武田信光」の庇護を受け武田家に仕えます。


5.〔東北へ〕
 その後の八巻一族は、川中島の合戦などを経て、武田・上杉・伊達の各大名に仕え、山梨から新潟・山形・福島・宮城・岩手へと移住して行った模様です。東北関係は、詳しい調査がなされていませんので、まだまだ調べることが大事かと思います。調査の結果は、前会長の「八巻俊雄」氏によって、「八巻一族八百年の歴史」にまとめられ出版されました。
詳しくは、「八巻一族八百年の歴史」をご覧ください。


〔全国の八巻〕
 「八巻」姓の人達は、北は北海道から南は沖縄まで、数県を除いてほとんどの都道府県にお住まいで、世帯数約2500軒・人数約10000人前後の人々が居られます。


〔氏姓の継承の難しさ〕
 八巻一族は、「落人」となってからこれまでの永い時代の中で、「姓」を脅かす「戦争(合戦)」や「天変地異」、その他諸々「事件」や「事故」が数多く発生したと思われますが、このようなことを考えて行くと、「姓」を守り次の世代に継承していくことがいかに難しいことかを痛切に感じます。「八巻」一族も幾多の危機や苦難を乗り越え、800年もの永い間「八巻」の姓を大事にし、必死で守ってきた先人たちのご苦労に本当に頭が下がります。


〔やまき同族会〕
 「やまき同族会」に入会されている皆さんは、「八巻」の姓を大事に守り、次の世代に繋げていこうと頑張っている人たちの集まりです。「やまき同族会」は、「八巻・山木・八牧・山城」氏など、「やまき」という「姓」を持つ人達が集まり、「八巻」に関する資料、情報の収集、所縁の地への旅行や会員間の親睦を深めていく会でもあります。
 ※ 「やまき」と発音するすべての「姓」(八巻、山木、八牧、山城ほか)の元(ご先祖)は「山木兼隆」です。                                 元・国学院大学樋口清之教授

〔入会の勧め〕
 「八巻」に興味を持たれた方、また「やまき」の姓を名乗っている方は是非ご連絡ください、年会費2000円で年3回発行(予定)の会報「やまき」と会の行事などのご案内をお送りいたします。仲間が1人でも増えることは大変うれしいことです。


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組織図

≪やまき同族会・組織及び会員(2020.11.20)≫


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